2019年を振り返ろうとしても記憶がまるでない。都会へ、田舎へ、山へ、海へ、祭りへ、海外へ行って、たくさんの人と関わっていろいろやったはずなのに、なぜだか記憶がない。iPhoneのカメラロールには記録が残っているし、ところどころに大切な瞬間はあるけれど、半年前の出来事よりも中学3年生のときにディズニーランドへ行ったことのほうが鮮明に思い出せる。なぜだろう、と考えてみて気づく。記憶は感情と強く結びついていて、今の生活は、どうやら感情をないがしろにしてしまっているようだ。
このホームページには仕事のアーカイブ以外に、いくつかの個人的な目的を持たせている。その一つが、2020年以降の自分の「記憶の置き場」にするということ。パーソナルとパブリックの境界があいまいになっていく時代において、編集者として、ライターとして、コピーライターとして、そしてひとりの人間として、どんな態度で生きていくべきか、いまだ決めかねている僕の実験の場所になる。個人的でありながらひらかれている、という生き方を試してみたい。
あけましておめでとうございます。2019年、ありがとうございました。2020年、よろしくお願いします。
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個人的でありながらひらかれている。
12.31, 2019